白黒ハッキリさせてやる!

みなさま、こんにちは。
コロナ禍の真っ只中に「さぁ、こんな時こそ読むぞ!」と買い求めた本が未だに山積みになっています。
時間がある時に限って、やりたかったことを後回しにしてしまうのは何故なのでしょう…。
そんな積読書の中から拾い読みをしよう!と思いつつも、いま実際に読んでいるのは武田砂鉄さんの『わかりやすさの罪』。
“キャッチーでわかりやすい”ことがもてはやされる世の中で、“わかりやすい”は本当に良いことなのか?と投げかけている一冊(だと理解しています)。
確かこの本、3年ぐらい前にも読んでいたはずなのですが…
『AI』という単語を目にしない日はない程になった2025年、あらためて読み返してみると当時はなんとなく読み流していた箇所に目が留まったりします。
大量に作られたリフを駆使すればAIで“メタリカっぽい曲”は作れるけれど、AIが“これからメタリカが作る曲”を作ることは難しい、とか。
ざっくり言うと
“どんな理由でどのリフを選択するのか“を決めるのは、日々の生活体験や思考の組み合わせの積み重ねであり、その過程はAIでは補うことができない”
ということですね。
仮に同じ選択肢があったとしても(同じリフのストックを使うとしても)、1991年のメタリカと2025年のメタリカが作る曲は、きっと違うものになるでしょう。同じものを見て・聞いても感想・意見が十人十色であるように。
※「リフ」とは音楽における「コード進行」のことで、曲の中で繰り返される(リフレイン)旋律を指します。
なお、このコラムを執筆している手倉森はヘヴィ・メタルに詳しくないので、メタリカがどんな音楽を作ってきたのか?全く存じ上げておりません。
自分の立場や意見を明確にしておくことは大切ですが、その立場・意見に至った過程や『どちらかといえば〇〇』という“揺らぎ・曖昧さ”も同じぐらい大切。
経験を経て考え方や立場が変わる(変える)ことも、決して珍しいことではないのです。
白黒ハッキリさせることが重要な場面は確かにあります。
でも、灰色だからこそ上手く回っていくことも同様にあるわけで…
何事も白黒つけてやる!という世界が果たして生きやすい世界なのか?は疑問に思うところです。
…そういえば最近よく目にする“それ違いますよ”と指摘されて逆上してしまう人や、“ごめんなさい”が言えない大人の背景には、この“揺らぎ・曖昧さ”が足りてないんじゃないかな…などと、この文章を書きながら考えてみたり。
さて少し話題は変わりますが、PBBではお仕事を探している方に求人をご紹介する際に『端的ではないわかりやすさ』を心掛けています。
「〇〇商事の営業事務です」「××サービスの会社で英文事務のお仕事です」とひと言で伝えるのは簡単ですが、多くの方にとって貴重な時間を費やすことになるお仕事ですから、「こんなはずじゃなかった」を、できるだけなくしたい。もちろん、働き方や条件面もしっかりお伝えしていきます!