第8話
君の名は・・・
「うううう・・・・・」
先日までのモーレツぶりはどこへやら。幸子はいま、デスクで頭を抱えていた。
「内さん、猫背だね~」
通りすがりの芝部長のいらないヒトコトに思わず舌打ちしそうになるほど余裕がない。
原因は、『日に日に赤坂氏の依頼内容がイミフメイになっていく問題』である。
暗号か!!!
というレベルで英略語とカタカナ語を差し込んでくるのである。
当初は、芝部長からの「FYI」しか書いてない転送メールにすら面食らった幸子である。
赤坂氏からの暗号メールは読むだけで大変、読んで理解してようやく対応、なので時間がかかって仕方ない。
日本語で書いて~~~!!!
いっそ、そう叫びたいが、幸子はB&S以外の外資を知らない。
私の英語スキルが足りないだけで、これが外資の普通なのかも・・・
そんな気後れと小さなプライドが邪魔して、こそこそとグーグル先生に頼る日々。
「内さん、今いいですか?」
背中合わせの席で仕事をしている女性に声をかけられ振り返る。
「メールで依頼いただいた件、どういうデータが必要なのかもう少し詳しく教えていただけますか?」
赤坂氏に、追加してくれと頼まれたデータのことだ。責めるでもなく淡々と尋ねられ、幸子は恐縮するしかない。
「あの・・・実はマーケの方から、こういうメールをいただいていまして・・・」
うつむきがちにメール画面を示し、意図を理解しないまま依頼してしまったことを正直に打ち明ける。
「・・・わかりました。ありがとうございます」
彼女は幸子に、データは今日中に送る、と静かな声で告げると席を立った。その表情は眼鏡の奥に隠され、幸子にはうかがうことはできない。
自分も理解してないことをお願いするなんて、失礼だよね・・・
幸子がうなだれて仕事をしていると、赤坂氏から新たなメールが届いた。またイミフメイなのに違いない。ため息とともにメールを開くと、暗号じゃない。心なし表現も柔らかいような・・・?
「・・・あのぅ」
ふと思うことがあり、幸子は背中合わせの席の女性に、そっと声をかけた。
「もしかして、赤坂さんに何か言ってくれました・・・?」
彼女は幸子の問いには何も答えず、ただわずかに会釈をし、席を立った。壁の時計を見ると、定時。
「お先に失礼します」
・・・神☆降☆臨!!!
定時と共に去りぬ、その神々しい人の名は「三田さん」。
無口かつ無表情にキーボードとマウスを神速であやつるミステリアスな女性。
その涼やかな口元に、小さな笑みが宿っているように見えたのは、きっと気のせいではない、と確信した幸子であった。