第12話
幸子にラブ・ソングを・・・
B&Sのエントランスには、自由に使えるミーティングブースがある。
幸子の派遣元であるプロバンクの新橋くんは、
3つあるブースのいちばん奥のスペースに座っていた。
そこが彼なりの定位置らしく、フォローの時はいつもその席に座っている。
「内さん、お疲れ様です!」
さわやかに挨拶をすると、新橋くんは単刀直入に切り出した。
「で、どうですか?内さんの率直なお気持ちは」
まずは内さんの意向を知りたいというお話でして、と新橋くんは続けた。
確かに、幸子の前に差し出された「直雇用後の就業条件」はザックリしている。
少なくとも、世界が一変するようなことは書かれていない。
でも、と幸子は思う。
B&Sではたらくことと、B&Sの社員になることは、ほとんど同じだけど、少し違う。
願ってもないことでうれしいんですけど、と前置きしてから、幸子は新橋くんに尋ねた。
「このお話、断ると契約更新はどうなりますか?」
新橋くんは、う~ん、と少しうなって「理由次第、ですかね」と答えた。
「内さんの気持ちを第一に、というのが芝さんからのお言葉でして」
新橋くんによると、芝部長は次のように語ったという。
「いま派遣って3年縛りあるでしょ?
ボクとしては、2まで言えば10やってくれる内さんにはずっといてもらいたいわけよ。
でも、仕事内容とか就業条件とか、“コレ!”って決めて派遣ではたらいている子も多いからさぁ。
内さんは、どうなのかな~って」
ああ、2しか指示していない自覚はあるんだ・・・
という思いはひとまず置いて、あの芝部長がそこまで考えてくれていたとは。
「もし、どうしても派遣で、と考えているなら」と前置きすると
新橋くんは、『無期雇用社員への転換』という耳慣れない単語を口にした。
派遣元の『無期雇用社員』になれば、同じ派遣先で3年を超えて就業することが可能になるし、
『正社員』ではないので、基本的には「契約ベース」ではたらき方を見直すこともできるという。
「・・・すみません。だんだんよく分からなくなってきました」
いろいろなことを一度に聞いたので、幸子の思考回路はショート寸前である。
「ボクのほうこそ、一度にいろいろ言ってしまってすみません」
まだここではたらきたいけど、どうはたらくかはじっくり考えて決めたい。
幸子のそんな気持ちを尊重した新橋くんは、
芝部長も交えて話す機会をつくることを約束し、ひとまずその場はお開きとなった。
新橋くんをエレベーターホールまで見送りエントランスに戻るとき、
いちばん手前のミーティングブースを誰かが使っていることに気づいた。
他にも人がいたのか。
人生の岐路すぎて、いっぱいいっぱいだったみたい。
幸子はオフィスドアを開錠する前に少し足を止めて深く息をついた。
「幸子?」
幸子がカードリーダーにIDカードをかざしたそのとき、思いがけず名前を呼ばれた。
カードを持った手が止まる。
「・・・ダイスケ?」
振り返ると、見間違えるはずもない。
自然消滅した元カレ(第2話参照)の姿がそこにあった。
商談?まさか面接?そもそも帰国?出張?
ってか、この1年音沙汰なしって!
感情、感傷、焦燥、動揺が渦になり、瞬く間に幸子を飲み込んでいく。
幸子の恋のメリーゴーラウンドは再び回るのか?!
そもそも仕事はどうするんだ、幸子!!
ふたたび人生街道を迷走しはじめた幸子を残し、世界は静かに回り続けるのであった。
完